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14.小樽

小樽運河

写真:虹が架かる小樽運河


 再び、特急「まりも」に乗って札幌に戻ってきた。今度は前方の車窓が望める先頭車の1番前の席に乗った。当然、夜間なのでほとんど景色が見えない。それでも、早朝に景色が見れればいいと思っていた。

 しかし、そこに座ったのは失敗だった。隙間風が入ってきているようで、非常に寒かった。寒くてなかなか寝付けない。それでも寒いのをなんとか堪え、寝たには寝た。夜寝付けなかった分、朝目が覚めたのは札幌駅のホームに着いたときだった。

 次の目的地、小樽行きの列車に乗ったときに、切符が入った定期入れがないことに気づいた。これにはさすがに青ざめた。切符がなければ、旅行を続けるのはおろか、家にも帰れない。「まりも」に乗ったときにはあったのは覚えていたので、おそらく落としたのは「まりも」の車内か、札幌駅の構内だろうと思い、駅の窓口に問い合わせてみた。落とした定期入れは切符といっしょにすでにその窓口に届けられていた。「まりも」の席の上に落ちていたと係員は言っていた。ちゃんと車内をチェックしているんだと関心もしたが、とにかくホッとした。

 そんなことがあって、小樽に到着するのが予定より1時間遅れた。小樽に着いたときには薄日が射しているくらいの天気だったが、そのあと急に厚い雲に覆われ、にわかに雨が降ってきた。2日目の弘前・金木以来の折り畳み傘の出番であった。

 まず、小樽運河に行った。小樽の観光地といえば運河。運河なしでは語れない。

 小樽は明治時代に北海道開拓が始まると港湾商業都市として急激に発達した。その時代の北海道の行政と政治の中心は札幌、流通と経済の中心は小樽であった。北海道から本州などへの貨物の多くは小樽港から船で運ばていた。「北のウォール街」と呼ばれるほどであり、日本銀行の支店がこの小樽にあったくらいである。この時代に、海岸線を二重にして艀(はしけ。小型の舟。当時の小樽港は大型船が設置できる埠頭がなく、陸地の貨物を艀を使って沖合いの大型船まで運んでいた。)と陸地の倉庫との設置面積を増やそうしてできたのが小樽運河である。

 戦後、札幌の集中化や道内他港の台頭などにより小樽の地位は低下し、衰退する一方であった。運河から艀を使って沖合いの大型船まで運ぶ方式も時代遅れになった。そこで、小樽の衰退を喰い止めるために、運河を埋め立てて北海道の中心札幌につながる幹線道路を建設する計画が持ち上がった。しかし、その計画に反対する住民運動が起きた。運河は小樽繁栄のシンボルであり、町の中心にありどこにいても見ることができたことから住民にとってもランドマークでもあった。その運河がなくなったら小樽が小樽でなくなる、というのが住民が反対運動を起こした理由であった。

 運動が起きた当初は、反対運動はそれほど強い力を持たなかった。小樽の衰退を止めたいというのが多数意見だったからである。そこで、反対運動は観光資源として小樽運河を残そうとする運動に転換し、その結果運河の半分は埋め立てられ道路が建設されたが、半分は残された。それが現在の小樽運河の形であり、観光客のために歩道なども整備されている。

 その小樽運河に着いたときに雨が上がり、再び薄日が射してきた。そして、なんと珍しい、虹が架かった。しかも、日本有数の観光名所、小樽運河で。「まりも」で切符を落とさなければ見れなかった光景。自然が織り成す偶然と、運河と倉庫から感じる歴史の両方を一遍に堪能できた。小樽の女神は僕に素敵なプレゼントをくれた。


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